命のゆくえ

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誕生日の今日、暑い一日となった。

親曰く。 出産時に難産で、いざとなれば母親を助けると医師に言われたこと。

私が未熟児として産まれたこと。 手足ばかりひょろっと長く、産まれてすぐにそれをじたばたと、

元気に動かしていたこと。 その日は暑く、雨が降っていて、暫くしたら晴れたこと。 以前に何度か

聞いた話ではあったが、数十年経つとなると、感慨深いものを感じる。

私自身は、与えられた命という思いが常にあった。 年子で産まれたはずの弟妹が、

産まれることが出来なかった、それもあったと思う。 どこかでいつも、先を見つめて

生きている気がする。

以前誰かに話したのだが、生きているということ、そしてそれが終わること、それは、展望台の

望遠鏡を見ているのに似ていると思う。あるタイミングで、見ることが出来なくなる、

それが 終わりの合図なのだと、なんとなく思っていた。

その間に、何をするのか。何ができるのか。 未だに答えは出ていない。

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