広重と川獺 半七捕物帳より

Pocket

読書の秋、と良く言う。

秋の夜長は読書でもするか、という感覚なのだろう。

別に秋に限らず、本は読む。

夏の暑さが徐々に和らぎ、蝉の声が静かになり始める夕方、澄んだ音色の

虫の声が聞こえ始め、もう秋なのだなと思う、そんな陽気は、過ごしやすさも

手伝って、何かをする意欲を誘うのかもしれない。

さて、そんな読書のジャンルの中で、ミステリー、というとやはり謎解きものに

あたると思う。

謎解きは、古典的な方が好みだ。

今どきの謎解きものの中にも、案外、何十年も前の推理小説などを

参考にして書かれたものもあったりする。

設定や時代背景が変化しているだけなのかもしれない。

謎解きと時代物を掛け合わせた、捕物帳という分野が日本にはあって、

これがまた、色々な制約の中で事件の謎を解く部分に面白味があり、

却って傑作を生む結果になったりもするから楽しくなる。

そんな捕物帳の元祖とも言うべき小説が「半七捕物帳」だ。

岡本綺堂という、江戸から明治の移行を肌で実感しながら生きたひとの

ものした傑作捕物帳である。

以前、綺堂に関しては、当ブログの「半七捕物帳」のくだりで 

書いたのでここでは割愛する。

さて、その半七捕物帳を是非多くのひとに読んで貰いたく思って、書いている。

第一巻には「お文の魂」に始まり、「山祝の夜」まで、十四の話が、四百数十

ページに収められている。私が取り上げる「広重と川獺」は35ページ程の

話である。

ここでは二つの謎が出てくる。

先ずは広重の話からだ。広重は「東海道五十三次」や「江戸名所百景」など多くの

優れた浮世絵を後世に残した浮世絵師として知られているが、その、広重の浮世絵が

謎をとく鍵となることからこの題となったようだ。

安政五年のこと。浅草にある旗本屋敷の大屋根の上に、当年三、四歳くらいの女の子の

遺体がうつぶせに横たわっているのが発見される所から物語は始まる。

平屋敷とはいえ、20名以上の用人から下働きまでが住まう、千二百石の大身の屋敷であり、

大屋根であるから、幼い者がひとりで登れるとはまず考えられない。かといって、天から

降って来たとも言われない。屋敷のものたちに、誰も、かの女の子を見知ったものもいない。

迷子札も腰ぎんちゃくも身につけていないことから、全くの身元を探る当てもなく、みな

途方にくれる…

屋敷の主人の武家は、肝の据わった、また真っすぐな気持の武士であって「かような幼い者に

親兄弟のない筈はない」と言い、身内にさだめし嘆き悲しんでいるものもあろうから、せめて

亡骸なりとも送り届けたいと、内内で処理することをせず、町方に探索を依頼させる。

それを受けた用人は、なにぶんにも内密に詮索して下されば好都合である、と内分に

詮議するように八丁堀の同心に頼む、そこから神田の半七へ話が行って、主人公登場と

あいなるわけである。さて、この事件、まったく雲をつかむような話である。

とにかくも当の屋敷に赴き、用人に話を聞き、子供の遺体を見せて貰い、それが置いてあった

屋根もくまなく調べた半七は、次に、子分のひとりである庄太の住む馬道へ行き、一緒に

十万坪まで行こうと言う。

「きょうは天気も良し、あんまり空っ風も吹かねえから、十万坪の方まで附き合わねえか」

と言うのが原作の半七の台詞となる。こんなふうな口調で町人たちは話していたらしい。

因みに十万坪とは、深川の果てにあたる。果てとは東の方であり、日本橋が中心であった江戸から

すると、辺鄙な場所であったようだ。深川と言えば、今では、江東区、めっきり

開けた場所になっていて、その当時とは随分違うのは改めて言うまでもない。

さて、半七が十万坪に行った理由とは、そして、この謎の真実とは何か?

短いが面白い話に仕上がっている。推理と事実にも破たんがない。

半七の物語は隠居した元岡っ引きの半七老人の話を、わたし、若い新聞記者が

聞く、という形式で進んでいくものが大半になる。

江戸弁や江戸の末期の風景、風俗は、そのまま、岡本綺堂の見聞きしていたものが

反映されてもいるようで、生き生きとしたその描写は他の追随を許さない。

幾つかの捕物帳を読んでいるが、ここまでの文章と構成力と、また、リアリティを

持って迫ってくる人間性など、今も変わらぬひとびとの話を、私は知らない。

川獺の話の方は、その頃、実際に川には川獺が多くいて、ひとびとに悪さをした、

それが端緒となる。

川獺に襲われた町人の、夜も遅い(その頃はひとびとの生活は朝早く夜も早かった)

八時すぎに本所の荒物屋に現れるところから始まるこの話、綺堂の手を借りて話を

始めてみよう。

「商売物の蝋燭でも買いにきたのかと思うと、男は息をはずませて水をくれと云った。

薄暗い灯りの影でその顔を一と目見て、女房はきゃっと声をあげた。その男は額から

頬から、頸筋まで一面になまなましい血を噴き出して、両方の鬢(びん)は

かきむしられたように乱れていた。散らし髪で血だらけの顔-それを表の暗闇から

ふいに突き出された時に、女房の驚くのも無理はなかった。その声を聞いて奥から

亭主も出て来た。」

そして事情を聞きながら手当をし、「それはきっと川獺です」と正直者で親切な

夫婦は男に同情しながら、傘を破かれているのを指摘すると、かごに乗って行くから

大丈夫と男は言い、今夜の件は内分にしてほしいといったん出て行ったのを戻って

夫婦に念を押す…

その翌日、隠居の十右衛門が、自身番に届けをする。金50両の入った財布を

所持していたのを取られたうえに疵(きず)を受けたというのだ。

さて、その訴えの筋とは…

なかなか一筋縄ではいかない話を、短くまとめあげ、しかも、事件を解決に

導く半七の活躍も鮮やかでまたある種の爽やかさがあって、読んで楽しくもある。

短編だから、入りやすいとも思う。

捕物帳。

今この時代だからこそ、読み継がれて欲しいと祈念する次第である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)