「幻の百万石」というこの本は、南條範夫の短編集を集めたものだ。
表題にもなっている「幻の百万石」は、
そのあとに配された「太閤の養子」と登場人物はほとんど変わらず、取り上げているテーマも
変わらず、しかもまったく違う印象と読後感を味わえるという、一風変わったものになっている。
話として「幻の百万石」を取り上げてみる。
二つ目の「太閤の養子」の表題に表れているように、この話は太閤、豊臣秀吉の養子である、
結城秀康のことを取り上げている。
主役は秀康なのだが、「幻の百万石」の示すように、その実父であった徳川家康の「お墨付き」を
めぐる物語になっている。
そこにおそらくは南條範夫の手が加えられていて、秀逸な短編となっているのだ。
出だしにこんなことが書いてある。
家康の腹心中の腹心である井伊直孝は、
「大御所様は何事にも律儀な方だが、知行のことになると物忘れがひどい」
と皮肉なことを言っているし、同じ腹心の一人である榊原康政は、家康が約束の加増を
してくれないのを恨んで、死に際に、秀忠の見舞のものには鄭重に挨拶をしたが、家康の使者に
対しては、憤然として、
「康政はいま腸が腐ってくたばりますと申し上げてくれ」
といい放ったという。
この家康が、珍しく百万石のお墨付きを二度まで出している。
ここまでが引用だ。
いったい誰と誰に出しているのか。歴史に詳しくないとまずそこを知りたくなる。
上手い書き出しだと思う。
お墨付きをもらったひとり、それが太閤の養子、結城秀康であったのだ…
そこからの話の展開は早くて、しかも綿密な計算のもとに書かれているから破たんはない。
そして謎解きの要素も加わってくるから、面白いのだ。ひきつけられて、あ、そうだったのか、
と思ったところで、また南條範夫の技量がさえわたる演出がひとつ加えられている。
そんな塩梅に、特にこれを時代小説などと思って読む必要はない、優れた小説に仕上がっていると
思う。
次の「太閤の養子」を読んでまた、驚かされるのだが、この話には触れずにおく。
まずはどう幻となるのか。百万石のお墨付きの謎を解くことが出来ればさぞ爽快だろうと思うが、
自分には解けなかった。
我こそはと思うひとはぜひ読んで謎解きも同時に楽しんで欲しいと思う。